「高い」ワインは「いい」ワインか?

一般的に、「高いワインはいいワイン」と思われていることが多いようです。でもどうやらそれは違うようなのです。ワインの値段の決まり方には他のものとは全く違う一種独特のかたちがあります。一般常識では理解しがたいことかもしれません。その理由を探ってみました。

普通、商品の原価は原料費、加工費、人件費など、その商品を作るためにかかった原料と手間や時間など共通しているはずです。原料は厳選することで差ができ、加工費はどれだけ丁寧に作るか、機械なのか人間の手作りなのかにより差が出るし、完成までにかかる時間によってもコストが反映します。

どんなものでも、昔の手作りの時代から文明化、機械化によって大量生産されることでコストが下がり安くなるというメカニズムが出来ました。何時の時代になっても機械化が出来ないもの、人間の手によってしか作れない手工芸品のようなものは高額なのは当然のこととして認識されています。

規格が決められているものについては、その規格に見合うものだけが一定の価格が保証されていると言えるでしょう。ワインもその国の規格に見合うものならば一定の価格が保証され、順当な価格で取引されることになります。ワインにも規格が定められており、その規格をクリアして初めて正当な利益が確保できる仕組みになっています。

しかし、ここでワインについては他の商品と違う点があることを知る必要があります。フランスワインの規格で重要視しているのは「製造本数」なのです。詳しく述べる紙面がないので別の機会に譲りますが、これは長年の経験で得たもので、要は、一定面積のぶどう畑で収穫する原料ぶどうの量とそれから造られるワインの本数を限定することで品質を保つ方法なのです。

言い方を変えると、1シーズン6000本のワインを造る畑と、1万本~3万本造る畑では、原料ブドウが太陽エネルギーを吸収することで得られる要素(生成物)に差がでるということで、大量生産するとワインとしての要素が下がるのです。日本で製造される商品の規格の中で、製造本数が要素になっているものなどないので日本人には理解しがたいことではあります。

ワインが太陽の恵みとするならば、この意味では生産本数が少なく個性のはっきりした濃いワインの方が価値があるとされており、同時に原価も上がります。しかしそれだから良いワインで飲めばうまいかと言えば必ずしもそうではありません。生産本数が多いワインは「ワインの要素」は少ないが、悪いワインでまずいということにはなりません。何故なら太陽エネルギーと人間エネルギーとの間に直接関係はないからです。

一定の狭い地域で限定された本数でしか製造されないワインに価値を見出すのがフランス人の考え方だと思うのです。ワインは土着性を重んじる飲み物なのです。彼らは、広い地域より狭い地域の方に価値があり、さらに狭い地域の中の特定のぶどう畑にもっと大きな価値があると考えます。つまり地域性が価値の尺度となっているそれなりのこだわりは理解できなくもありません。

フランスのワインは4段階に分かれています。それはもちろん品質によって4つに分けられているのですが、その品質とは地域性を指しているのです。フランスでは、地域の、産地の特性がはっきりしているほど品質の良いワインなのです。日本人は地域性があることがいいとは考えないので誤解が生じることがあります。

フランスでは地域性と原価は正比例しており、生産本数は反比例の関係にあります。地域の独自性をだそうとすれば原価は高くなり本数は少なくなります。逆に本数が多くなれば、地域性は希薄になるが原価は安くなります。ACワインを基準に考えると、VDQSワインの地域性は約半分、価格も約半分となり量的には約2倍できます。これは、市販されるためにボトルに詰められる前のボトル1本分の原価の比較であり、市販価格は別の要素が入るので要注意です。

日本で販売されているフランス産のワインはほとんどがACワインの規格ものです。従っていずれも品質が劣るということはなく、日本人の尺度で見れば十二分に高品質なものです。同じ規格ものであるならば、高いからうまい、安いからまずいということはなく、産地による味の違いが飲み手の好みに合うかどうかの問題なのです。

お金がたっぷりあって、フランス人に同意できる人は同じ道を歩めばよいし、何十万円もするワインよりも数千円で十分美味しく感じ楽しめる人は、それなりに我が道を行けばよいというのが、決して負け惜しみではなく私の思うところです。百人寄れば、味覚も感じ方もそれぞれ違う人の感性をひとつの統一した論理で決める必要はないのです。

 

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