HOMEワイン・パーティ
ここは、365日24時間開催のオンライン・パーティ会場です。ワインについてのことなら
誰でも何でもおしゃべりできます。あなたの体験したエピソードや疑問など何でも気軽に
投稿してください。投稿が反映されるまで少し時間がかかります。
画像を貼付する場合は300KB以下に縮小してください。
名前
題名

内容
画像
削除キー (英数8文字以内)
 世界一エレガントな街ボルドー 脱 輪太郎  2023年1月10日(火) 9:15
削除
ある日の「世界不思議発見」は、フランス・ボルドー。まだ行ったことがない場所ですが、なかなか魅力的なところに見えました。日本やイギリスとの意外な関係もあります。

●18世紀に造られたボルドーの街は、その大部分が、世界遺産に指定されている。一時は、人口が減り、商業が衰退しつつあったが、建物の汚れを取り、黄色い石灰岩で作られた黄金の街がよみがえったことで、世界遺産に登録された。
●フランス王妃の座を捨てたアリエノール・ダキテーヌは、恋をして11歳年下のアンリと結婚。アンリは、結婚して2年後にイギリス国王(ヘンリー2世)となった。このため、アリエノールが相続していた膨大な領土(ボルドーを含む、フランスの西半分)は、イギリス領となった。そのため、ボルドーの街には、イギリス人が造った建物がある。
●イギリス領であった300年間、ボルドーからは大量のワインがイギリスに輸出された。これが、ボルドーのワイン造りを一層盛んにした。
●ボルドーは、フランス中央高地から流れてくるドルドーニュ川とピレネー山脈から流れてくるガロンヌ川の合流点にある。この2つの川が異なる土壌を運んできたため、5種類の土壌が造られた。その土壌に合うブドウを育て、さまざまなブドウからボルドーワインは作られている。(ブルゴーニューの赤ワインは、原則として1種類のブドウ(ピノ・ノワール)からつくられている。)
●城を意味するシャートーは、ボルドーではワインの醸造所を意味する。ボルドーには、1万もの醸造所があるが、その頂点に君臨するのが、シャトー・マルゴー。シャトー・マルゴーは、4種類のブドウを混ぜて作っている。
●ボルドーというと、ワインだが、実は魚介類もおいしい場所。特に、牡蠣はボルドー近く(アルカション湾)で養殖されている。その北50kmのところにあるオレロン島は、牡蠣の養殖発祥の地である。
●1960年から70年にかけ、疫病によりフランスの牡蠣は、全滅しかけた。それを救ったのが、生命力の強い宮城県のマガキであった。東日本大震災で、壊滅状況になった牡蠣の養殖を救うため、フランスは、「お返しプロジェクト」を立ち上げ、牡蠣の養殖に必要なロープ等を石巻に贈った。海底で生き残っていた稚貝をもとに、石巻では牡蠣の養殖を再開することができた。

この番組を見た後、ボルドーのワインを飲みたくなり、1本開けてみました。年初、ハイペースで新年会をこなしていたためか、最近胃の具合が悪く、5分の1位しか飲めなかったのが、心残りです。

 シャンパンの裏話 東 孝昭  2023年1月7日(土) 9:21
削除
パリの東約20q位に位置するシャンパーニュ地方、無論シャンパンの生まれ故郷です。会社の創業記念や代表者の交代など、数多く開かれるカクテルパーティーで欠かせないのはシャンパンです。会場に入るとすぐにシャンパングラスで一杯頂き、知り合いは勿論知らない人でも軽く乾杯して会話が始まります。

あるパーティーで私が「先日シャンパーニュ地方に出かけシャンパンの製造蔵で製造現場を拝見してきました」と話したのですが、その後は黙って皆さんの見聞を聞くだけ、いろいろ勉強させて頂きました。

シャンパンは発泡性のワインですがこの地シャンパーニュで作られる製品のみに許された名前で、中でも最高級は“ドン・ペニヨン”です。この名前”ドン・ペニヨン“はこの地方のある町(オヴィレール)の修道士でワインの二次発酵を極めたと言われる人の名前が付けられたものです。

二次発酵とはどういう事か?一旦出来た白ワインをもう一度発酵させるのですが、二度目は少し古いワインをブレンドしたり、酵母や蔗糖を少し添加して瓶詰、それを長時間かけて二次発酵を促すものです。瓶にたまる澱(おり)を沈殿させて取り除くため瓶をさかさまにおいて少しずつ回転させる、数年の発酵の後にこの澱を取り除くのですが、昔はベテランの職人技が必要であったとか。各蔵によって手法やブレンドなど実に様々、秘伝として引き継がれているとのこと。もう一品有名なのが“モエ・シャンドン”でしょうか。

ワインの蔵に入れて頂いたのですが私のアルバムに写真は全くありません。いずれもネットからの借用です。

(余談です)実はこのシャンパーニュ地方への旅行目的はステンドグラスでした。丁度その勉強を始めた頃だったと思います。この地域に三つの聖堂があります。“Troyes”(トロワ) 、“Reims”(ランス)そして “Chalon-en-Champagne”(シャロン・シャンパーニュ)です。多分ステンドグラスの先生のお勧めで出掛けたように思います。相当数の写真を撮っています。代表としてトロワ聖堂の回廊の写真を一枚だけ添付します。

(追加の余談)シャンパーニュ地方はLa Champagneで女性形、シャンパンは同じスペルですが男性形です。誰が決めたということでもないようです。

 はじめまして Henk  2022年12月30日(金) 16:02
削除
きっと私が呑兵衛なので頼まれたのだと思うが、ワインについて何か書いてくれと言われてもなかなか書けるものではない。ビール・ウイスキーを始め日頃飲んでいる酒類についてもそうだ。いつもはまるで馬鹿のように飲んでいても、その自分が飲んでいるものがどのようなもので、それらとどのように関わってきたかを上手く表現することはなかなか難しい。また、ワインそのものについての講釈なら内外問わず無数のいい書物もでているので、そちらを読まれる方が余程ためになる。その意味では、私の話は読者にとって何の参考にもなりそうにない。

私は酒という飲み物を二十歳前から今の今までいろんな理由を付けながら半世紀以上も飲み続けてきた。それでも酒で体を壊したことは一度もなく、殆ど二日酔いにもならず、さらに幸いなことにアル中にもならずになんとか健康を保ちつつ(?)酒に付き合ってもらってきた。しかし、酒のせいで周りの人々に少なからず迷惑をかけてきたことは大いに反省している。ともかく、私個人としては「酒は百薬の長」という考えには大賛成だ。

さて、ワインか・・・。私のこれまでのワインとの関わりについてなら個人的な体験ではあるが何か少しは書けそうかも。

私はいつワインというものに出会っただろう?半世紀以上前のおぼろげな記憶を手繰ってみると、それは子供の頃まだ学校に上がる前のことだ。父がビールを上手そうに飲んでいて、少し味見をさせてもらった時のあの苦さ、大人はこんな不味いものをよく飲むと思った。片や赤い酒はビールに比べると甘くてこれなら子供でも飲めそうだと思ったが、その時はそれほど飲ませてはもらえなかった(当然)。おそらくこれが私のワインとの「はじめまして」だったかもしれない。

その時の瓶のラベルには赤い丸が描かれていたのを朧気ながら覚えているので、まだワインとは言わず「葡萄酒」という呼び方をしていた「赤玉ポートワイン」ではなかっただろうか。でも、これはよく考えると、わたしに限らず日本人男性なら多くの方が似た経験をされているのではあるまいか。でも、あの時なぜ父は日頃飲まない赤い酒を飲んでいたのだろうか。

言いそびれて最後になり失礼しました。こういう私は70を過ぎた無職老人、名前はHenk、このサイトの管理人の友人です。

 ボルドーでワイン三昧 脱 輪太郎  2022年12月26日(月) 16:29
削除
ボルドーへ到着。広々としたアパートメントホテルにチェックイン。洗濯機もあり、気に入りました。しかも、一人一泊4000円弱と格安。ここに2泊することにしました。

ボルドーと言えば、ワイン。まずはガロンヌ川左岸のワイン畑へ。5大シャトー(ワイナリー)の一つ、シャトーマルゴーを訪ねました。美しいワイン畑が広がっています。残念ながら休日のため、シャトーの中には入れませんでした。(こちらでは、日曜祝日はスーパーマーケットも休みです)

次に向かったのは、ガロンヌ川右岸のシャトー。一時間以上にわたり、ワイン造りの話を伺いました。面白いと思ったのは以下の通りです。

●ボルドーのAOCワインの畑では、散水は禁じられている。あくまで、ブドウの木が地中から水を吸い上げることを基本としている。ブドウの木の根は、10m以上深いところに根を張っている。

●ブドウの木の上部になる実は、養分が不足しているため、糖度が低く、ワインには使わない。

●ワイン造りは、2段階で発酵させる。まずは、砕いたブドウのジュースを大きな樽にいれ、ここで、最初の発酵を行う。次に、オークの樽に入れ1年から1年半寝かす。その後、瓶詰を行う。

●ブドウ畑には、バラの花が植えられている。これは、単なるデコレーションではない。ブドウの木の病気にバラはかかりやすい。病気の兆候をバラで知り、必要な手立てを講じる。

●15ユーロ(2200円)以上のワインは、高級ワイン。

このシャトーで造っているワイン3本を購入。ホテルに戻って、ワイン三昧の生活をしております。3本のうち、1本は高級ワイン。実に美味しく飲めます。


 素晴らしい!あの時こんな情報が欲しかった! 東 孝昭  2022年12月26日(月) 11:58
削除
2度のパリ駐在を経験していますがワインの知識がなく今から考えると非常に残念です。高度成長からバブルへの時代でもあり多くの日本からの来客をフランス料理に案内しました。結局ワインの選択はレストランのソムニエ任せで自分で選択する事は出来ませんでした。

当時フランスの友人から耳にした話しです。友人はフランスの最高学府ポリテクニックの卒業生(当時は建設省の役人)ですが一年に一度オペラ座を借り切って卒業生のダンスパーティーが開かれる由。成功した先輩が娘の婿を探す目的もあって多くが親子(親と娘)での参加だったようです。若い独身卒業生は懸命にワインの勉強をしたそうです。何故ならワインの話も出来ないのでは相手にされないという事だった由。

彼らの勉強の方法は夏休み返上でブドウ農家にお手伝い(アルバイト)、そしてそのつてで秋にはワイン農家へお手伝い(これもアルバイト)に出かけたそうです。その年の出来具合とか、各地のワイン情報など。更に同級生同士で情報交換、時には酒場で品定めなど。

ワインの味は食べ物との相性も大きいです。勉強範囲がここまで来るととても私にはついて行けそうにありません。結局諦めてソムニエさんのアドバイスをお願いすることに。

ここからは逆説ですが、もしこのサイトの情報が当時に私の手に入っていたらと考えると明らかに世の中が私にとって大きく変わっていた筈です。それは良くも悪くもです。良い意味ではパリでの生活が大きく広くなったことでしょう。しかしその後バブルが崩壊して世の中が一変した時、私の評価はどうなっていたでしょうか。ものは考えよう、知らぬが仏ということも?

1 2 3 4  全 17件(未掲載 1件) [管理]
CGI-design